BIG BOSSって最近テレビでよく見かけるけど、どんな人なの?
今季から北海道日本ハムファイターズの監督に就任した『BIG BOSS』こと新庄剛志監督、最近まで野球に興味のなかった人にとってはタレントの一人と思われているかもしれません。
では、選手時代にはどのような選手だったのでしょうか。
ここでは、そんなBIG BOSSの経歴を球団のオフィシャルページには書かれていない部分もあわせて振り返ってみます。
プロフィール
本名 | 新庄 剛志(しんじょう つよし) |
本名以外の登録名 | SHINJO(北海道日本ハムファイターズ選手時代) BIG BOSS(北海道日本ハムファイターズ監督時代) |
生年月日 | 1972年1月28日 |
身長 | 182cm |
体重 | 76kg |
年齢 | 50歳(2022年6月4日現在) |
血液型 | A型 |
出身地 | 福岡県福岡市南区 |
出生地 | 長崎県下県郡美津島町(現・対馬市) |
経歴 | 選手歴 西日本短期大学附属高等学校 阪神タイガース(1990〜2000) ニューヨーク・メッツ(2001) サンフランシスコ・ジャイアンツ(2002) ニューヨーク・メッツ(2003) 北海道日本ハムファイターズ(2004〜2006) 監督歴 北海道日本ハムファイターズ(2022〜) |
ドラフト | 1989年 ドラフト5位 |
背番号 | 63(1990年〜1992年、2006年9月27日) 5(1993年〜2003年) 1(2004年〜2006年9月26日、2006年9月28日〜2006年シーズン終了まで、2022年〜) |
選手時代ポジション | 外野手、内野手 |
投球・打席 | 右投右打 |
初出場 | NPB :1991年9月10日(対 読売ジャイアンツ戦) MLB :2001年4月3日(対 アトランタ・ブレーブス戦) |
最終出場 | NPB :2006年10月26日 MLB :2003年6月27日 |
NPB通算成績(在籍13年) | 1411試合 5629打席 5163打数 647得点 1309安打 205本塁打 716打点 73盗塁 990三振 打率.254 出塁率.305 長打率.432 OPS.737 |
MLB通算成績(在籍3年) | 303試合 960打席 876打数 98得点 215安打 20本塁打 100打点 9盗塁 128三振 打率.245 出塁率.299 長打率.370 OPS.668 |
NPB1シーズン最高本塁打数 | 28本(2000年) |
MLB1シーズン最高本塁打数 | 10本(2001年) |
NPB1シーズン最高打率 | .278(131試合 549打席 2000年) |
MLB1シーズン最高打率 | .268(123試合 438打席 2001年) |
NPB表彰 | ベストナイン 3回(外野手部門:1993年、2000年、2004年) ゴールデングラブ賞 10回(外野手部門:1993年、1994年、1996年〜2000年、2004年〜2006年) 月間MVP 2回(野手部門:199年5月、2004年9月) 札幌ドームMVP 1回(野球部門:2004年) オールスターMVP 2回(1993年第3戦、2004年第2戦) etc. |
MLB表彰 | Toppsルーキーオールスターチーム(外野部門:2001年) Baseball Digestルーキーオールスターチーム(外野部門:2001年) ジョン・J・マーフィー賞(2001年) |
SNS・YouTube等
@shinjo_freedom | |
shinjo.freedom | |
YouTube | 新庄劇場 |
経歴・選手寸評
西日本短期大学附属高等学校時代は全国大会出場歴なし。
NPB1年目(1990年)は一軍出場なし。二軍成績も腰痛の影響があり出場36試合、打率.074と振るわず。
守備は志願して遊撃手へ転向。2年目(1991年)9月になり一軍昇格。
代打で出場し、初打席初安打初打点を記録してチャンスを掴んだ。
3年目(1992年)、主力の故障離脱のチャンスに三塁手として活躍し、一軍に定着。「虎のプリンス」という愛称をつけられた。
以降、2000年まで阪神タイガースの主力として活躍。
2000年FA権を行使して日本人野手として初めてMLB球団と契約。(同年イチロー選手もMLBと契約した。)
MLBでは、2002年には日本人選手初のワールドシリーズ出場を果たす。
2004年NPB復帰。復帰会見では
「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」
と目標を掲げた。
2006年開幕直後の4月18日に1本目の本塁打を
「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニフォームを脱ぎます打法」
と命名。
ヒーローインタビューで改めて引退を宣言した。
同年、チームはレギュラーシーズン1位通過を決め、プレーオフも勝ち抜き、日本シリーズに進出。
自身初出場の日本シリーズで日本一を達成して引退した。
NPB復帰、北海道日本ハムファイターズ入団会見で掲げた
「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」を見事達成した。
2019年11月、現役復帰を宣言。2020年12球団合同トライアウトに48歳で参加。NPBは獲得を見送り、現役復帰を断念した。
2021年10月、北海道日本ハムファイターズより2022年シーズンからの監督就任が発表された。
監督就任会見で「監督」ではなく、「BIG BOSS」と呼んでほしいと宣言。
登録名も「BIG BOSS」となった。